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11月29日、13日間封鎖された理工大学の包囲解除。
BBCが整理した時間軸で振り返る。
理工大学包囲初日 2019年11月17日
大量のデモ参加者が理工大学を占領、近くでバリゲートを設置。当日、香港警察とデモ参加者が理工大学近くで激しい衝突を起き、警察は放水車、催涙弾、ゴム弾などで攻撃、デモ参加者は火炎瓶やレンガなどで反撃。
衝突中、一名の警察連絡隊員のふくらはぎが矢に刺された。そして一名の記者が放水車に当てられ意識を失った。二人とも病院に搬送。
|訳者追加:翌日の18日に各地域でデモが起きている中、
行政長官は負傷警察にお見舞い|
デモ参加者と警察の対峙は夜中まで続いて、理工大学付近の歩道橋が燃やされ、爆発音もあった。その夜、一部の人が大学から離れた時逮捕され、千人以上が校内に包囲された。
理工大学包囲2日目 11月18日
朝、警察が理工大学に突入し、デモ参加者を逮捕。
|訳者追加:警察は学校の範囲に入ってないと主張|
西九龍エリア指揮官の卓孝業が記者会見で、理工大学から出た全ての人を暴動罪で逮捕される。
香港高等法院は緊急法を発令し、「覆面禁止法」を実行したのは憲法違反。警察は「覆面禁止法」の執行を一時停止。中国全国人大常委會法制工作委員会の発言者は「香港での法律は『基本法』に合っているかどうかは全国人大常委会のみが判断と決定できる」
午後1時ころ、数百名のデモ参加者が学校から脱走しようと、警察の催涙弾によって阻止された。数十名の機動隊がデモ参加者を制圧。一部のデモ参加者が頭部血まみれ、一部は学校に戻った。デモ参加者の家族と支持者が大学近くで集会を行い、一番の家族が気持ち抑えられず、ショッピングモールで休憩。
夜8~9時ころに、デモ参加者が校内の歩道橋からロープで脱走を試みて、バイク運転手に迎えられた。その時デモ参加者が転落した。香港メディア「りんご新聞」により、百人近くが脱出。その後この道は警察に封鎖された。
夜11時、元立法会主席の曾鈺成さん、香港大学の法律顧問が学校へ協議。その後百名の中学生と保護者が到着、学生を迎えた。
夜に大量のネット民が呼びかけを応じ、チムサーチョイやジョーダン辺で理工大学へ入り包囲された人を「救出」しようと失敗。警察が排除時デモ参加者と激しい衝突発生、大量の市民が逮捕され、油麻地で『群衆事故』を起きた。
|訳者追加:警察は群衆事故が発生していないとFBで投稿|
駐英国大使の劉暁明がロンドンの記者会見で、暴力は「香港を極端事態に」までエスカレートし、警察を肯定し支持、デモ参加者は「いわゆる民主と自由と無関係」と発言
理工大学包囲3日目 11月19日
百名以上の学生が夜中に曾鈺成、張達明と他の人の付き添いで学校から離開。
香港政府が「タカ派」の鄧炳強を警察総監に任命し、元警察総監の盧偉聰は58歳で任期を終了。
(訳者追加:鄧炳強は7.31無差別爆撃事件の主犯を含めるヤクザらしき人と親しい噂、就任した午後モンコックでヤクザらしき人がナイフで市民を威嚇)
理工大学包囲4~8日 目11月20日 - 11月24日
自動的に離れるデモ参加者が続出、メディアはまだ数十人が居残っていると推測。
理工大学包囲9日目 11月25日
香港区議会選挙の結果が発表され、民主派が圧倒的勝利。行政長官の林鄭月娥は「香港政府は必ず市民の意見を聞くし、反省する」と。
午後、民主派は当選した区議員を大学近くでデモ参加者を声援し、范国威、鄺俊宇など5名の民主派区議員が代表として理工大学に入る。大量の市民が声援で理工大学の近くで集会。
理工大学10日目 11月26日
理工大学が50人の医療チームを派遣し、大部分のデモ参加者が続々と離れ、校内の衛生環境ひどく、ゴミが散らかって、学生食堂では大量の蛆虫が発生。
|訳者追加:立場新聞が発表した動画|
【理工大学11日】 11月27日
理工大学がさらに百人を校内で捜索。学校が朝9時から12時にの捜索で居残ったものを発見できず。
その夜居残ったデモ参加者が現れ、まだ20人位いると言う。
閉鎖していたホンハムトンネルが当時の朝5時に運行回復。政務司司長の張建宗が回復するのに800人が協力した。
理工大学包囲12日目 11月28日
警察の安全チームが構内に入り、証拠集めと危険品を処理。午後2時まで、警察は600枚の火炎瓶を発見したと発表。
理工大学包囲13日後に解除 11月29日
当日の午後、理工大学の包囲解除。警察が校内から離れる。理工大学の声明で、政府部門は朝に危険品の処理が終わり、警察が学校を包囲解除と発表した。
(写真は11月21日に撮影したもの、この道で警察とデモ参加者が激しい衝突)
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