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執筆者の写真hklemontea

【立場新聞】理工「囲み」から脱出

更新日:2020年6月16日

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立場新聞が脱出者・協力者にインタビューをし、現場での観察を加え、理工「囲み」の朝と夜をまとめ、中の人はどうやって脱出したのを詳しく分析。

彼らはなぜ命の危険を晒すまで脱出を決意したのか。



最後に元記事リンクあり

*一部省略あり

立場新聞が脱出者・協力者にインタビューをし、現場での観察を加え、理工「籠城」の朝と夜をまとめ、中の人はどうやって脱出したのか。

離散

デモ者最後の計画的突破する行動は18日の午後2時位。でも先鋒が去って30分立たないうちに、警察の銃弾によって敗退し、多くの人が逮捕された。夕方からは各地域で「囲魏救趙(敵を集中させるよりも、分散させる方がいい)」との策略を開始、東チムサーチョイとジョーダンで防衛線を始めたら、失敗に終わった。その後は警察が理工大学を完全包囲と決め、突破も救人もほぼ不可能となった。


朝8時にZ Coreでロープで脱出する人もいたが、実際夜11時までに理工大学のデモ者が再び突破行動に出る噂もあった。しかし彼らの防衛機制を崩したのは、大学校長たちと元立法会主席の曾鈺成(ジャスパー・ツァン)が夜11時に校内へ「人助け」をし、18才以下の方を連れ出し、即時に逮捕されると伝えられた。前線はみんなで校門を突撃しようと、曾鈺成がすぐ校門に現れた。


意図的なのかはともかく、校長たちと曾鈺成が校内に入ったことによって、デモ者最後の反撃と戦意を失わせた。残るかどうかに迷った若い学生に、意を決したデモ者から「これ以上進むともう後戻りできない」、「出たら監獄に10年」、「離れたら他の仲間はどうなの?」、少し威嚇で警告した。でも多くの学生も「もう耐えられない」、「家に帰りたい」との泣きながら、数百人が校長たち連れられ警察の防衛線に向かった。一人の男性学生泣きながら先生の付添で進んだ。


付き添った先生は「もう大丈だよ」と言い、「大丈夫なわけないよ、中にはまだ仲間がいっぱいいる!」、「一緒に守ることもできるのに、罪悪感を感じる。明日になると彼らは勾留所行きかもしれない。」

残された18才以上の人は理工大学出れば逮捕されるので、彼らに残った問題は「どうやって逃げ出す?」

橋から飛ぶ

Cさんは理工大学から脱出成功の一人、彼は月曜日からいろいろな逃げ道を流れていたが、「離れられる方法は数えないくらい多かった」。その中ですぐにバレて、そして注目を浴びたのは「ロープで下る」。

11月18日(2日目)の8時頃、100人近くがZ Coreからロープで脱退し、バイク運転手が迎えに来る。その後警察は付近で配置を強めたが、警察が油断した隙間を狙って逃れられた人もいた、「難しかったです、みんなロープで下る経験もなし、ちゃんと掴めてないと落ちたら死ぬ。」

Cは「手袋ないままで下って、手がぼろぼろになった写真は怖くて見れない」と言った。

|訳者追加:ネットで流れている手袋のない脱出した者の手|



ロープで下る時に滑って、高所から転落で両足折れた人もいる噂。警察はすぐに出口を封鎖し、「空」の道が封鎖され、残ったは「陸」の道。

道を探す

籠城2日目(19 日、火曜日)、百人近くが学校各所から歩き回り、目には不安と疑惑、時々携帯で写真や現場の状況を見たら、バイスメッセージを聞いたら、明らかに外で応援がいる。そして多くの彼らの目標は「Z Core」。

理工大学の外で救助を協力するKさんはZ Core出たらガールスカウトの拠点と住宅街になるからと説明した。

陸路で逃げるのは外に援助いるかどうかが肝心、Kさんは校内の「子供」と連絡取る以外、校外の「親」と近くの居民と協力し、見張りしたらゲートを破れたりする。しかし希望が大きいとバレやすく、見張りするで逮捕された居民もいる。

その前にZ Coreに到達するのも簡単ではない。Z Coreに繋がるZ橋を越えようと、見張っている警察にバレるし、すぐ「投降しろ」、「見えている」と強力ライトで照らされる。また前の晩、「武勇」が橋で火を付けたことで、スプリンクラー設備と警報がずっと作動しているため、Z橋はずっと警戒状態にある。

約10人のデモ者がしゃがみながら通ろうとして、半分進んでないうちに機動隊に見つけられ、ペッパー弾などで攻撃され、「無理だ、走れ」。また男女一人が匍匐前進し、2分の距離が20分もかかってしまい、その間にずっと強力ライトに向けられた。

彼らは後門からZ Coreを離れようとし、塀を乗り越え下水道に降りた。しかし大量の警察の見張りによって諦め、学校に戻った。

Kが知っている限りには陸路で脱出する成功率は低く、約4割、つまり2人に1人は逮捕される。

Cさんは「警察は最初の人たちを逃さして、後に付く人を引き出す」と警察は後に付く人を大量に逮捕するため、意図的にやったと考えている。

鬼ごっこ

ロープも陸路での脱出も厳しく、「成功」と見える逃げ道はすぐに「チャットグループ」で拡散され、警察によって塞がれるため、脱出口も減る。同じ頃、囲まれた人は一刻も早く脱出したいと思った、なぜなら彼らの間で鬼(裏切り者)がいる噂が絶えなかった。月曜日から毎晩機動隊がZ Coreで「回る(全ての部屋を回る)」、記者は聞いたことあるが、度々見に行っても見つからない。Y Coreも機動隊が「回る」スポット、また私服警察がT Coreで居残る人を逮捕。一番信じがたいのは私服警察が校内で鉄パイプでデモ者を追いかけ殴る。少なくとも2名の居残る人が記者に「友達が実際に見た」と言う。

これら未確認の「噂」で、記者も後半になって笑い事のようにしたが、囲まれた人にとっては心理的に重いプレッシャーだった、お互い信じられず、みんな「鬼」だと思われた。

職務で度々校内へ居残る人と接触し、また脱出の連絡係りTさんは「彼らは『人間』を信用しない。」、警察の包囲によって、校内の人の目は「野良犬野良猫」のようになった、「彼らは心を完全に閉じた。こんなに近い距離で人の心が絶望したの始めてみた」、「でもまだ脱出したい望みはある」。

この生きたい・脱出したい意志が、彼らに信じられない逃げ道を生み出した:下水道

(パート②)

映画「ショーシャンクの空に」に主役のアンディは脱獄し雨の中で叫んだ。まさか香港で現実に見るとは。

籠城の翌日、19日の朝にすでにY Coreの下水道から逃げ出そうと試みた脱出者がいるけど、失敗して消防と救護に駆けつけ助ける羽目に。約60人が低体温症のため救急車で搬送された。脱出失敗で搬送7日、そのとも搬送の口実で脱出しようとしたのは永遠の謎。

でも一人自称「下水道で脱出失敗」した覆面男子がその後記者に、失敗の理由は「臭すぎた」と説明、そして脱出成功した人もいると言ってた。

当日(19日)の午後から、校内で溝渠から脱出しようとする人でいっぱい、彼らは防毒マスク・ゴーグル・レインコート・一部はサポーターを付けた、隠れ気味で地面を観察し、はっきりと言えば地面のマンホールを観察。

「四角いのは汚水」、「丸いやつが正しい」、記者が適切なマンホールを探している2チームに密着し、どこからの排水図を見て、マンホールの場所がマークされていた。その中、1チームが午後4時に校内の目立たないところでマンホールを定め開けようとしたら、男女それぞれ2人が短い鉄パイプで開けようとできなかった。さらに絶望されたのは中の水の高さは1.6メートルもあり、彼らよりも高い。絶望と虚しさでその場を去った。

「下水道で脱出」噂が事実になったのは、当日夕方に出発した17人。

彼らは元々6、7人しかおらず、「出た人はいる、外に応援がいる」と言い、途中で加入した人も多い。彼らはMブロックにあるマンホールのところに到着し、マンホールには小型バールとレンチが刺されて、たぶん誰が開けようとしたが、失敗に終わった。

初めての探索

逃げ口が目の前に、彼らはマンホール開けるの試みた、前の残った開け口から試し、「いけたいけた」と思ったら、マンホールの重さでパイプさえ潰された。

「バール探してくる」と言って男子が10分後にバール持って帰ってきた。道具もあって、厚さ3、4インチのマンホールも動き始めて、「手使わないで、折れるぞ」と女子が注意、「じゃ足で」、40分間足と手も使って、やっと「逃げ口」が開けた。

鉄パイプをマンホールに落とし、「底について、そんな深くない」、彼らの情報では水深は1.7メートル、昼間よりも深く、入って残ったスペースは1フィートしかない、「今行かないともう出れない」。

「1、2、3、4…」と人を数え、記者まで数えられそうとなって、身分を改め表明し、最終人数が17日。そして泳げない人も7、8人はいた、「泳げると泳げない人を間隔で分けよう」。

Dさんは「私が最後に、みんなが出れるように確保する」言った。細みで普通のマスクしか付けていない柄シャツの男子が先に入った。

出発

柄シャツの男子が下がりなら「ok、ok」と言い、続いてカップルが降りて、そこから他の人も入って、「暗い」、「懐中電灯ください」などを叫んで、最後にDさんも降りた。彼は下水道で1時間歩くと予想し、90分過ぎても「無事報告」がなかったら、消防を呼んで捜索してと頼まれた。「外で会おう」と、記者にこのことを記事で書くのを承諾し、「将来勝った時、これも物語の一つ」と、下水道に消えた。

ほぼ同じタイミングで、男女一人の脱出者がマンホールに来て、明らかに17人と同じ目標だった。彼らは懐中電灯でマンホールを照らした、視察なのか、それとも先に行った人のために撤退の道を照らしたのか。

結果10分足らずに、下水道に「光だ、ここ、光ある」との声がした。戻ってきたのはDさんと2名の女性、「水が高すぎて通れない、呼び戻せたけど無理だった」、帰ってきた3人は全身びっしょりで髪に泥が付いていた。

「中で死ぬの怖いから、消防に通報する」

Dさんは「元々水は顎辺だけど、2番目のマンホールについた時は花まで上がった」。中で約70~100メートルを進んだ、中の泥は砂のように流れ込んで、2番目のマンホールに着いた時、後ろの人が前の人を支え、水を蹴りながら進んだ「之以上進むと水が頭部超えるかもしれない、2、300メートルも続いたら死ぬ」。

一番最後のDさんはみんなの安全を確保していた、「前二人の女子が本当に絶えられず、戻りたいって、彼女たちは泳げない」、前の14人が進んで、引き返すと呼べないし、彼と水に苦手な女子2人で、深くなる水流に「私が彼女たちを捨て、自分で戻れと言ったら、進めることもできた、2秒ほどほっとこうと思っていた。」

「でも本当に捨てられない。」と他の方法で脱出したDが記者に話した。

引き返した3人は無事で、消防と潜水員に情報提供。その後に到着した3人で、一人の女子がマンホールの隣で号泣。もしかして彼女は下水道に入ったらどうなってただろうと考えているかもしれない。現場にいる記者たちも同じく複雑な気持ちだった。消えた14人が成功すれば歴史となる、失敗すれば悲劇だ。

2時間沈黙の中、マンホールを見つめながら待って、消防士が走り回って下水道の図面を研究。夜10時になった頃、14人は全部脱出成功し、「親」に迎えられたといいお知らせがきた。Dさんは「彼らが道を間違えた」と、元々は特定の場所で助けに来るけど、間違えてしまい、「彼らはマンホールを叩き続いた、開ける人がいてよかった」。

後追い

これは初めて第三者が下水道から脱出の見ただろう。「M Core駐車場のマンホール」が脱出者の希望となった。でも消防が徹夜でマンホールにいたから待つしかなかった。校内の人を離れるの勧告する羅永聰さんは「ガスあるかも」、「水深いから死ぬかも」と彼らを阻止。

でも危険でも脱出死体人を阻止できない。火曜日(19 日)の昼間に、全ての陸路も安全ではないCさんは下水道での脱出を試みた。

「とにかく人が出られた情報を聞いたから、恐れることはない」、脱出成功のCさんは前でもデモで逮捕されたことあるため、逮捕されないのが一番の条件。彼もチームメイトで月曜からいろいろな下水道を観察したが、この下水道が出る前ずっと失敗してた。彼と2人のチームメイトが木曜日の午後に、前の17人より十分が準備で、全顔を覆面し、保温の服を着て、膝はラップで巻いて保護した。「降りた時、水はすでに横隔膜辺に着て、入る前は躊躇したが、降りるともう大丈夫になった」

記者は彼らが去る過程を観察し、水深は17人のときより1フィートも低く、ちょっと頭下げるだけで進めた。すぐに記者の視線から消えた。「5~10分くらい歩くと、広い場所に出て、進むとどんどん広くなった」。

「壁にはゴキブリがいっぱいで、黒い壁だった、こんなに虫が近づいてくるのは初めて。でも怖がる暇もない、緊張しすぎて寒さも感じない」。

20分後、記者に「出た」とのメッセージが来た。

「現場の人に聞いた所、3分前にまだ警察が私のいる場所に立ってた」、でも見張りのおかげで逃げられた。Cさんは堂々と離れ、車に乗ったと。「歩きながら笑いが止まらなかった、ずっと溜まってたストレスから解放されたようで、コントロールできずにずっと笑っていた」。

計画

記者が目撃したM Coreからの脱出者は30人超え、外で協力したKさんとTさんは、下水道から脱出した人は200人くらいと。「専門の人が2日寝ずにデータ、水位、日出没、図面を見て、どうやって離れるの研究した」。同時に「精鋭勇武」が逆方向から理工大学に入り、道を確認した。

Kによると、M Coreで離れた人が一番多いけど、他の下水道でも脱出できる。「下に降りたら共通なので、遠回りするか、近道なのかの違い」、一番遠いのは2時間かかった。

「最初はすごく反対してた、海で子供を引き上げるの嫌だから。でも子供の生存意欲と家に戻りたい気持ちがは強く、私たちの計画を超えた」とKは言った。

彼ができるのはできるだけ協力と企画し、この命で逃亡した人を安全で家に戻らせる、阻止はできない。「中にどんな気体があるの知らないからと何回も注意した。でも彼らは大丈夫だと、どうせ死ぬなら、この方法を試して、中に死んだほうがマシだと」。

直接数名の脱出できると接触したTさんは常に自分のやることは他人の命を落としているではないかと自問自答した。彼は一人の脱出者は下水道に降りて5、6時間も連絡取れず、いろんな人に声かけて、10時間立ってから脱出者から「安全確認」が来た。「一度は死んだではないかと、何があれば一生後悔する」。

後遺

真っ黒なマンホールに入るのは命を賭けた、成功したCさんも、失敗したDさんも、他の選択肢がなかった。「他のZ、T、Y Coreを見たけど、全部包囲されて、逃げ道もない、地下しかなかった」。最終的に安全で理工大学を離れたDさんは今でもマンホールの漆黒な環境を夢で見る。でも彼らは下水道以外に他の方法はなかったと思っている。

それは彼が目で月曜日の夜に、たくさんの義務救急救命士が結束バンドで縛られ、警察車両に載せられた。警察は震撼弾以外に、特別戦術部隊は実弾射撃できる自動小銃を持っている。Dさんは「特別戦術部隊に撃たれて死ぬ、下水道降りても死ぬだから」、「中で食べられず、寝られず、精神的に耐えないの知っていた」。

「マンホールを見て、望みはあった。絶対脱出するって。」


|校外で脱出策を練り、支援したKさんのインタビュー

|脱出時の映像

|ロープで脱出した方のインタビュー



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